第 9 章 置換の符号と転倒数 ( よりみち ) 69
19.5 無限集合 ( 発展 )
定義8.1.1をよく読むと,置換を単射f :Xn→Xnのことと定めている. しかし,置換は逆写像(逆置 換)を持つゆえ全単射である. この点について補足しておこう.
命題 19.5.1. X,Y をともにn点からなる集合とする. 写像f :X→Y において次は同値である: (1) fは単射である, (2) fは全射である.
Proof. X={x1,· · · , xn},Y ={y1,· · · , yn}とおいて証明しよう.
(1)⇒(2): f は単射ゆえ f(x1),· · ·, f(xn)の中に重複はない. もし f が全射でないと仮定すれば, f(x1),· · · , f(xn)のいずれでもないy ∈Y が存在する. このときY はn+ 1個の元 f(x1),· · ·, f(xn), y を含むことになり,これはY がn点集合であることに反する. ゆえにfは全射である.
(2)⇒(1): fを全射とする. もしfが単射でないと仮定すれば,xi ̸=xjかつf(xi) =f(xj)なるi̸=jが 取れる. このときf(x1),· · · , f(xn)のうちf(xi)とf(xj)は等しいゆえ,集合f(X) ={f(x1),· · ·, f(xn)} の点の数はn−1以下となる. f の全射性よりY =f(X)であり, つまりY の元の数はn−1以下であ る. これはY がn点集合であることに反する. ゆえにf は単射である.
無限集合においては上の命題の類似は成り立たたない. すなわち, XからXへの写像で, 単射だが全 射でない例,および全射だが単射でない例がある:
例 19.5.2. (1) f :N→Nをf(x) :=x+ 1と定めれば,fは単射であるが全射でない. (2) g:N→Nをf(x) := max{1, x−1}と定めれば,gは全射であるが単射でない.
備考 19.5.3. 命題19.5.1および例19.5.2で見た有限集合と無限集合における様子の違いと類似する現 象が,線形代数においても有限次元空間と無限次元空間における違いとして表れる. すなわち,線形写像 f :Rn→Rnについて,f の単射性と全射性は同値である(命題22.4.9). 一方で,一般の無限次元線形空 間において,このような主張は成立しない(例26.1.5).
無限集合においても,「元の総数が一致する」という性質に相当する概念を次のように定める: 定義 19.5.4. 集合X, Y の間に全単射が存在するとき,XとY は対等である(あるいは濃度が等しい)と いう.
命題 19.5.5. XとY が対等であり,Y とZが対等ならばXとZも対等である.
Proof. 仮定より二つの全単射f :X →Y およびg:Y →Zが存在する. このときg◦f :X→Zは命題 19.4.1(3)より全単射であり,したがってXとZは対等である.
有限集合の場合と異なり,例19.5.2で見たように無限集合は自身の真部分集合3と対等になり得る. こ のことは少なくともガリレオの時代には既に気づかれていた.
例 19.5.6. 自然数全体Nと正の偶数全体2N = {2n|n ∈ N}は対等である. 実際, f : N → 2Nを
f(x) := 2xと定めればこれは全単射である.
すべての無限集合が互いに対等なわけではない. 例えば次の事実は,大学1年次の範囲で十分理解でき るものである. 証明は,例えば巻末の文献[6]を参照せよ.
命題 19.5.7. (1) NからRへの全射は存在しない. したがってNとRは対等ではない. (2) ZやQとNは対等である.
上の事実から,外延的な記法を用いてR={x1, x2, x3,· · · }と表せないことが分かる. 実際,もし仮に R={x1, x2, x3,· · · }と表せるとすれば, f :N→Rをf(n) :=xnと定めれば,これは全射であり,上の (1)に反する.
読者になじみのある無限集合について次が成り立つことが知られている. 証明は,集合論の入門的な本 を参照されたい.
例 19.5.8. (1) 無理数全体R\Qや複素数全体C,ユークリッド空間RnはRと対等である.
(2) 集合Xの部分集合をすべて集めた集合をXの冪集合とよび,これをP(X)あるいは2Xと書く. X とP(X)は対等ではない. とくに,X,P(X),P(P(X)),P(P(P(X))),· · · は互いに対等ではない. 無限集合がNと対等であるとき可算であるといい,そうでないとき非可算であるという. ZやQは可 算であり,RやCは非可算である.
3自分自身以外の部分集合のことを真部分集合(proper subset)と呼ぶ.
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よりみち(無限集合の不思議)
RとRnは対等である. 次元の異なる空間の元の個数が等しいことを読者は不思議に感じるかも しれない. しかし,ここでいう全単射f :R→Rnの存在性は, 代数構造や数列の極限など多くの数 学的構造を無視したうえでの1対1対応があると述べているに過ぎないのである. 例えば線形空間 としての演算を保つ写像に限ればRとRn (n ≥2)の間の1対1対応を作ることはできない(命題 21.2.7). また, 数列の発散・収束性を互いに保つ1対1対応(これを同相写像という)もRとRnの 間には作れないことが知られている(22.1節のコラムを参照). このように,二つの対象を同じとみな す(つまり1対1の対応を与える)といっても,様々な立場があり得る.
一方,何の化粧もない単なる集合に限った場合,無限集合の間の1対1対応はどこまで理解されて いるのだろうか. 実は,実数の無限部分集合の大きさにどれくらいの種類があるかという基本的な問 題ですら容易に理解されるものではなく, これは集合論の創始者であるカントールを生涯悩ませ続 けた問題でもあった. すなわち,NともRとも対等でない実数の部分集合X⊂Rは存在するかとい う問いである. このようなXは存在しないという立場を連続体仮説といい,連続体仮説(あるいはそ の否定)の証明に彼は長い年月を費やしたが, いずれも証明することはできなかった. 現在では, 連 続体仮説およびその否定のいずれも集合論の公理系からは導けないことが分かっており, これ以上 この問題について論じるならば,我々は連続体仮説とその否定のどちらか一方を公理として選択す る必要に迫られることになる.
連続体仮説は微積分学とも無縁ではない. 逐次積分(累次積分)の順序の入れ替え:
∫ b
a
∫ d
c
f(x, y)dxdy=
∫ d
c
∫ b
a
f(x, y)dydx.
について,上の等式が成立するためのfの条件を解析学では与えている. 一方,上の等式が成立しな い関数の例が存在するかという問題は授業ではあまり扱わないことが多い. 実は,この存在・非存在 性も集合論の公理系からは導かれないこと, そして連続体仮説からは等号不成立の例が導けること が知られている.
集合論の公理系から導かれる不思議な事実についても述べておこう. それは,R3の原点を中心と する半径1の球体を有限個の集合に分割し, これらを回転と並行移動によって上手く配置しなおす と半径2の球体になるという定理である(バナッハ・タルスキーの逆理). 一見するとこれは体積概 念と矛盾するように思えるが,体積が定義できないような複雑な集合に分割させることで,このよう な構成を実現させている.
以上,無限集合の奥深さを示す例の一端をかけ足ながら取り上げた.
第 20 章 線形写像
線形代数学で扱う線形写像には二つの性格がある. 一つは,分析すべき対象であり,そこには諸科学分 野において現れる個々の具体的な線形写像をいかに理解するかが念頭にある. これこそが線形代数学の 主題であるといってもよい. そしてもう一つは, 一般のベクトル空間V の言葉をユークリッド空間の言 葉に翻訳するために与える対応(線形同型)のことである. 後者は前者を分析するための道具といえる. 本章ではこれら二つの区別をせず,線形写像の定義から共通して得られる一般論を展開し,これらを区別 した各論は次章以降に論じる.
ところで,線形写像の多くは行列によって表現され,以降では行列と標準ベクトルeiの間の積に関す る次の性質
Aei=Aの第i列目
を断りなく用いる(本章では例20.2.4で用いた). 上式を頭の片隅に留めておいてもらいたい.
20.1 線形写像の基本的性質
1節で述べた通り,線形写像とは比例関数の一般化に相当する概念である.
定義 20.1.1. 線形空間U から線形空間V への写像f :U → V が次の性質(i)および(ii)を満たすとき, fを線形写像(linear map)あるいは線形作用素(linear operator)という:
(i) すべてのx,y∈Uに対して,f(x+y) =f(x) +f(y), (ii) すべてのx∈U およびr ∈Rについて,f(rx) =rf(x).
【補足】 作用素と写像は同義語である. 一般に,関数や集合,数列などを代入する写像のことを作用素と呼ぶこと が多い.
上の性質(i)と(ii)を線形性と呼ぶ. 部分空間になるための複数の条件が一つにまとめられたように, 線形性は次の(iii)にまとめることができる:
線形性(iii) すべてのx,y∈U およびa, b∈Rについて,f(ax+by) =af(x) +bf(y).
実際, (iii)においてa=b= 1とした場合が(i)であり,a=r,b= 0とした場合が(ii)である. また, (i)と (ii)を用いて(iii)は次のように導かれる: f(ax+by) =f(ax) +f(by) =af(x) +bf(y). 以上より,条 件「(i)かつ(ii)」と条件(iii)は同値である. 以降,線形性の確認を(iii)によって判定することとしよう. 例 20.1.2. (m, n)-行列Aに対して写像TA:Rn →RmをTA(x) :=Axと定めれば,これは線形写像で
ある. 実際,線形性(iii)は次のようにして確かめられる.
TA(ax+by) =A(ax+by) =A(ax) +A(by) =a(Ax) +b(Ay) =aTA(x) +bTA(y).
上で定めた写像TAは今後頻繁に現れるゆえ忘れないこと. なお,ユークリッド空間の間の線形写像は 必ずTAの形で書ける(命題21.3.4). とくに写像f :R→Rのうちで線形写像となるものは, (1,1)-行列 A= [a]を用いて表される比例関数TA(x) =axのみである.
例 20.1.3. すべてのベクトルを零ベクトル0V ∈V にうつす定値写像f =0V :U →V は線形写像であ る. 実際,f(ax+by) =0V =a0V +b0V =af(x) +bf(y). このような線形写像は自明な線形写像と呼 ばれる.
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練習 20.1.4. 次の写像は線形写像ではない. 具体的な元を代入することにより,線形性(i), (ii)のいずれ も満たされないことを確認せよ.
(1) 写像f :R→Rをf(x) =x2と定めれば,これは線形写像ではない. (2) 行列式を与える写像det :Mn(R)→Rは線形写像でない.
ユークリッド空間以外の線形空間における線形写像の例は本章の最後に述べるとして, しばらくは線 形性から導かれる一般論を展開しよう.
命題 20.1.5. 線形写像f :U →V において0U の行き先は0V である. すなわちf(0U) =0V. Proof. 各ベクトルを0倍すると零ベクトルになることを用いると,f(0U) =f(0·0U) = 0·f(0U) =0V.
線形性(iii)は更に次のような有限和の形に一般化できる1.
命題 20.1.6. f :U →V が線形性を満たすならば次も満たす: 線形性(iii)’ 各uk∈U,rk∈R (k= 1,· · · , ℓ)について, f
( ℓ
∑
k=1
rkuk )
=
∑ℓ k=1
rkf(uk).
Proof. 和の個数ℓに関する帰納法で示す. ℓ= 1の場合は線形性の性質(ii)に他ならない. 和の個数がℓ のときに等式が成立すると仮定し,和の個数がℓ+ 1の場合について示そう.
f (ℓ+1
∑
k=1
rkuk )
=f (( ℓ
∑
k=1
rkuk )
+rℓ+1uℓ+1 )
=f ( ℓ
∑
k=1
rkuk )
+f(rℓ+1uℓ+1) (線形性(i))
=
∑ℓ k=1
rkf(uk) +rℓ+1f(uℓ+1) (帰納法の仮定と線形性(ii))
=
∑ℓ+1 k=1
rkf(uk).
線形性(iii)’は,線形写像が線形関係を保存することを述べている:
命題 20.1.7. f :U →V を線形写像とし,u1,· · ·,un∈U とする.
(1) x∈U がu1,· · ·,unの線形結合で書けるならば,f(x)はf(u1),· · · , f(un)の線形結合で書ける. (すなわち,x∈ ⟨u1,· · ·,un⟩ =⇒ f(x)∈ ⟨f(u1),· · · , f(un)⟩.)
(2) ∑n
i=1aiui=0U =⇒ ∑n
i=1aif(ui) =0V.
(3) f(u1),· · ·, f(un)が線形独立ならばu1,· · · ,unも線形独立である. (4) u1,· · · ,unが線形従属ならばf(u1),· · ·, f(un)も線形従属である. Proof. (1): この主張は線形性(iii)’の言い換えにすぎない. 実際,x=∑n
i=1aiuiと書けるならばf(x) = f(∑n
i=1aiui) =∑n
i=1aif(ui)であり,f(x)はf(u1),· · · , f(un)の線形結合で書ける. (2): x=0Uに対して(1)の証明と同等の計算をすればよい.
(3): 線形関係∑n
i=1aiui =0Uを仮定すれば(2)より∑n
i=1aif(ui) =0V である. 組f(u1),· · ·, f(un) の線形独立性よりa1 =· · ·=an= 0. つまりu1,· · · ,unは線形独立である.
(4): これは(3)の対偶にほかならない.
1命題12.3.1と同様の議論を行っている. 行列式を先に扱う都合上,我々は線形性よりも複雑な多重線形性を先に論じてい
たのである.