第 9 章 置換の符号と転倒数 ( よりみち ) 69
24.3 完全系列と短完全列
定義 24.3.1. 線形写像の列
· · · −−−−→fn−2 Un−1 −−−−→fn−1 Un −−−−→fn Un+1 −−−−→fn+1 Un+2 −−−−→ · · ·fn+2 (24.3.1) が各n∈ZについてImfn= Kerfn+1を満たすとき,これを完全系列(exact sequence)という. また, 次のような特別な線形写像の列
· · · −−−−→ {id 0} −−−−→ {id 0} −−−−→f0 W −−−−→f1 U −−−−→f2 V −−−−→ {f3 0} −−−−→ {id 0} −−−−→ · · ·id を略して次のように書く2:
0 −−−−→f0 W −−−−→f1 U −−−−→f2 V −−−−→f3 0 (24.3.2) この列が完全系列であるとき,これを短完全列(short exact sequence)という.
列24.3.1が完全系列であるとき, 各u∈Unについてfn(u) ∈Imfn = Kerfn+1ゆえfn+1(fn(u)) = 0Un+2である. したがって合成写像fn+1◦fn:Un→Un+2は,定義域のすべての元を零元に写す写像であ る(つまりfn+1◦fn=0Un+2). また,線形写像の列24.3.2において,両端の写像f0およびf3はともに自 明な写像ゆえ記号を割りふらないことが多い. f0は零元を零元に写す線形写像であり(つまりf0=0W), f3はすべての元を零元に写す線形写像である(つまりf3 =0).
短完全列の定義から次の性質が直ちに従う.
補題 24.3.2. 線形写像の列24.3.2において次が成り立つ. とくに列24.3.2が短完全列であるとき,これ らの性質が成り立っている.
(1) Imf0 = Kerf1 ⇐⇒f1 :W →Uは単射である(つまりW とImf1は同型).
(2) Imf2 = Kerf3 ⇐⇒f2 :U →V は全射である.
Proof. (1): Imf0 ={0W}ゆえ, Imf0= Kerf1 ⇐⇒ Kerf1={0W} ⇐⇒f1は単射. (2): Kerf3 =V ゆえ, Imf2= Kerf3 ⇐⇒ Imf2 =V ⇐⇒f2は全射.
線形写像があると,対応する短完全列を与えることができる:
例 24.3.3. (1) 任意の線形写像f :U →V について,次は短完全列である. 0 −−−−→ Kerf −−−−→id U −−−−→f Imf −−−−→ 0 (2) Uの部分空間W および商写像q:U →U/Wについて,次は短完全列である.
0 −−−−→ W −−−−→id U −−−−→q U/W −−−−→ 0
Proof. (1)で与えられた写像列が短完全列であることを示すには,前補題より次の三つの性質: id : Kerf → Uの単射性, id(Kerf) = Kerf,およびf :U →Imfの全射性を示せばよい. しかし,これらはすべて明 らかである. また,商写像qについて(1)を適用すると,命題24.1.2よりKerq=W ゆえ(2)を得る.
短完全列において第1同型定理を適用してみよう. 命題 24.3.4. 短完全列
0 −−−−→ W −−−−→f1 U −−−−→f2 V −−−−→ 0
において, f1の単射性よりW はU の部分空間とみなすことができる(W ≃Imf1 ⊂U). そこでW と Imf1を同一視すれば,U/WとV は同型である.
2代数学では,自明な空間{0}を0と略すのが慣例となっている.
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Proof. Imf1 = Kerf2およびf2の全射性に注意すると,f2に関する第1同型定理により次を得る: V = Imf2 ≃U/Kerf2 =U/Imf1 =U/W.
完全系列の標語的な解釈
完全系列の特別な場合である短完全列
0 −−−−→ W −−−−→f1 U −−−−→f2 V −−−−→ 0
を次元公式の文脈で読んでみよう. 全射線形写像f2:U →V に関する次元公式により, dimU = dim Kerf2+ dim Imf2
= dim Imf1+ dim Imf2= dimW + dimV.
この式から,短完全列の中央に位置する空間U が左右の空間W およびV によって分解されていると見 れる. 実際, w1,· · · ,wnをW の基底, v1,· · ·,vm をV の基底とすれば, f2の全射性よりf(ui) = vi (i= 1,· · · , m)を満たすui ∈Uが取れる. このとき,定理23.2.2によりu1,· · · ,un, f1(w1),· · · , f1(wn) はU の基底である. すなわち,W の基底とV の基底を通してU の基底を与えることができる.
また,例24.3.3(2)および命題24.3.4によれば,短完全列を与えることは商空間を与えることの言い換
えに他ならない. 商空間を与えることは,線形空間の各元を互いに交わらないグループに分類することを 意味し,これは文字通りの空間の分解である. 短完全列から導かれる分解を荒っぽく述べれば,V の元の 個数ぶんのW と合同な図形によってU は分解されている.
以上のことから,短完全列は代数構造の分解を表す図式であることが分かる. 一般の完全系列について も, 短完全列ほどの単純明快さはないものの, ある種の分解を与えていると考えられよう. 実際,複雑な 現象をより単純な対象に分解して理解するという基本的な考え方のもとで, 代数学を援用する多くの数 学分野において完全系列が扱われている.
よりみち(合成すると消える写像).
完全系列が満たすべき性質の一つにfn+1◦fn=0がある. このように合成すると消えてしまう写 像列の例について,ここで二つほど紹介ておこう.
ある空間上の基本的な図形に対して,その縁(境界)を対応させる操作を考える. 一般にn次元の図 形の縁は(n−1)次元になる. つまり,n次元の各図形∆に対して,その縁を∂n(∆)と書けば,∂n(∆) は(n−1)次元の図形である. 例えば円盤に対してこの操作を二回ほどこすと次のようになる:
∅
ԁ൫ ԁप ۭू߹
∂2 ∂1
ԑΛऔΔ ԑΛऔΔ
他の多くの図形に対しても縁を対応させる操作を2回繰り返すと消えてしまうことが分かり, 空集 合に対応する図形を0と書くとすれば,∂n−1◦∂n=0を得る.
上の対応∂nを線形代数の文脈に無理矢理持ち込むこともできる. 空間Xに配置されたn次元の 各図形を基底とする線形空間をCn(X)とすると,基底の間の写像を線形写像として拡張することに より(命題20.1.11あるいは22.5.2),線形写像∂n:Cn(X)→Cn−1(X)を得る(これを境界作用素と 呼ぶ). このとき線形写像の列
· · · −−−−→∂n+2 Cn+1(X) −−−−→∂n+1 Cn(X) −−−−→∂n Cn−1(X) −−−−→ · · ·∂n−1
は∂n◦∂n+1=0を満たす. しかしながら,一般には上の列は完全系列にはならず(つまりIm∂n+1 ̸= Ker∂n), Im∂n+1 ⊂Ker∂nであるに過ぎない. そこで, 上の写像の列がどれだけ完全系列から離れ ているかを調べる指標として商空間Hn(X) = Ker∂n/Im∂n+1が与えられる. Hn(X)はホモロジ―
群と呼ばれ,空間Xにどのくらい穴があいているかを計る量であることが知られている.
ところで,合成すると消える写像のうち,理工系学科の教育で最初に学ぶものといえば何であろう か. おそらくそれは電磁気学で学ぶ次の式である.
rot◦gradf =0, div◦rotF =0. (24.3.3)
ここで,勾配ベクトル場gradf,ベクトル場の回転rotF,ベクトル場の発散divgは次で定められる のであった:
gradf :=
(∂f
∂x,∂f
∂y,∂f
∂z )
, rotF :=
(∂f3
∂y −∂f2
∂z ,∂f1
∂z − ∂f3
∂x,∂f2
∂x −∂f1
∂y )
, divg:= ∂g1
∂x +∂g2
∂y + ∂g3
∂z ,
ただし, 上に現れる関数はすべて変数(x, y, z) ∈ R3 をパラメータとし, f はC∞-級関数, F = (f1, f2, f3)およびg = (g1, g2, g3)はC∞-級ベクトル場である. 実は, これらの写像は図形の縁を 対応させる写像とも無縁ではない. 勾配および回転,発散は外微分と呼ばれる線形写像によって統一 的に記述されることを後にベクトル解析を通して学ぶであろう. そして,境界作用素と外微分の関係 を双対概念と関連づけて理解することになる(ド・ラームの定理). これ以上詳しいことは,多様体論 および微分形式の専門書を参照されたい.
練習 24.3.5. 上の定義をもとに式(24.3.3)を確認せよ.
ヒント: C2-級関数ゆえ偏微分の順序交換ができること(例えば ∂2f
∂y∂x = ∂2f
∂x∂y)を用いよ.
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第 25 章 線形結合の行列表示
n次元線形空間Uはユークリッド空間Rnと同型であったゆえ,Uにおいて述べられる線形空間に関す る現象はすべて線形同型T :U →Rnを通してRnの現象に書き換えられるはずである. 本章では,U の 上での線形結合に関する情報をRnの情報に読みかえる技術について解説する.
25.1 線形結合の組と行列
ベクトルの間の線形結合を繰り返し計算し続けると∑
記号が二重三重に現れ,読む側には非常に複雑 に見えてしまう. これを回避する手段として,ベクトルの線形結合を行列を用いて表す記法を導入しよう. Rm のn個のベクトルの組u1,u2,· · ·,unについて[u1,u2,· · · ,un]は(m, n)-行列ゆえ(n, ℓ)-行列 A= [aij]との積を取ることができる:
[u1,u2,· · ·,un]
a11 a12 . . . a1ℓ a21 a22 . . . a2ℓ ... ... ... ... an1 an2 . . . anℓ
=[∑n
i=1ai1ui
∑n
i=1ai2ui . . . ∑n
i=1aiℓui
] .
上の右辺にはAの第j列成分を係数とするu1,· · · ,unによる線形結合が並んでいる. そこで,Rmの元 とは限らない一般の線形空間Uにおけるベクトルを並べた列1[v1,v2, . . . ,vn]と(n, ℓ)-行列A= [aij]に 対して,これらの積を上と同様に定める.
[v1,v2, . . . ,vn]
a11 a12 . . . a1ℓ a21 a22 . . . a2ℓ ... ... ... ... an1 an2 . . . anℓ
:=[∑n i=1ai1vi
∑n
i=1ai2vi . . . ∑n
i=1aiℓvi
]
. (25.1.1)
より抽象的に書けば,
[vh]h=1,···,n[aij]i=1,···,n, j=1,···,ℓ
= [ n
∑
i=1
aijvi
]
j=1,···,ℓ
.
式(25.1.1)における[v1,v2, . . . ,vn]および右辺はU 上のベクトルを並べた組であって,U =Rmでない 限りこれらは行列ではないことに注意せよ. また,Aが列ベクトルである場合は,ベクトルの組とAの積 は線形結合を意味する2:
[u1,· · · ,un]
x1
... xn
=
∑n i=1
xiui.
例 25.1.1. (1) [v1,v2] [
3 2 1
1 −1 4 ]
= [
3v1+v2 2v1−v2 v1+ 4v2 ]
. (2) [v1,v2,· · ·,vn]E = [v1,v2,· · · ,vn].
1ベクトルを並べる際にカンマで区切るかどうかはこだわらないことにする.
2∑n
i=1uixiと書いてもよいが,慣例ではスカラー係数を左側に書く. このような事情から,ベクトルのスカラー係数を右側 に書く流儀もある.
ベクトルの組における和とスカラー倍も定めておこう:
• [v1,v2,· · ·,vn] + [w1,w2, . . . ,wn] := [v1+w1,v2+w2,· · ·,vn+wn].
• r[v1,v2,· · ·,vn] := [rv1, rv2, . . . , rvn].