第 4 章 ホンダ二輪車事業のアジア進出と現地化動向の分析 ―先行アジアの経験と資源能力のベトナム
4.2 ASEAN 主要国におけるホンダ二輪車事業の進出動向と現地化戦略の特徴
4.2.2 タイにおけるホンダの進出動向と現地化戦略の特徴
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ホンダの海外展開は、日本からの輸入車から始まった。1959 年から北米、中南米に展開し、ホン ダ二輪車事業の海外への参入は多くの成功があった75。ホンダは現地消費者のニーズや現地の賃金 水準、資材費などを取り込み、海外市場に進出した。ホンダはまずアメリカや欧州市場で先行的に 成功し、その後、ASEAN 市場が地理的にも潜在需要の拡大でも有利なため、輸出から現地生産へ切 り替えていった。ASEAN 市場が大きく伸びるのは 1960 年代後半からであるが、各国の国産化政策の 要請もあり、輸出から現地生産に切り替えていく時期であった(出水、2002)。ホンダは各国の拠 点で生産体制を構築し、各国における販売、生産、部品調達、開発の現地化を重視し、特に生産面 では内製化の向上や現地部品調達率の向上に取り組み、コスト競争力を促進している(天野、他、
2010)。
高橋(1997)によれば、日本企業はグローバル戦略において輸出、現地販売から現地生産、現地 販売へと転換していったという。ホンダも、二輪車市場が拡大する ASEAN において、各国のニーズ に応え、環境・安全性に優れた二輪車の開発や普及を進めると共に環境問題への取り組みや安全運 転普及活動などにも積極的に対応した。
1963年には、ホンダは ASEAN における企業活動の足がかりを築くため、シンガポールに事務所を 設立して市場参入準備を進めた。1964 年 10 月には ASEAN における活動拠点として、タイのバンコ クに、二輪・汎用製品の販売会社、アジア・ホンダ・モーター(ASH)を設立した。1965 年 4 月に は、2 輪車・汎用エンジンの生産拠点としてタイホンダ・マニュファクチャリング(TH)を設立 し、ASEAN における本格的な現地生産を開始した。
1973年には、フィリピンに Honda Philippines Inc.を設立した。マレーシア市場には 1983年 Hicom-Honda Mfg. Malaysia Sdn.Bhd.を設立し、二輪車エンジンの製造を中心に経営がスタート し、2009 年にはBoon Siew Honda Sdn.Bhdを設立し、二輪車製造を開始している。ベトナムには 1996 年 Honda Vietnam Co, Ltd.を設立し、現在3 生産工場がある。2001 年にはインドネシアに P.T. Astra Honda Motorを設立した76。
ホンダのサステナビリティレポート(2018)77によれば、自社の重要な課題として、発展途上国 の経済発展への貢献を挙げている。ホンダは発展途上国の二輪車の市場ニーズに応じること以外に も各国の経済発展に貢献するため、ローカルの消費者の要望に対する販売、製品開発を重視した現 地化戦略を推進している。販売体制においては専売店網を構築している。製品開発において現地の 交通事情や消費者の好みなどと合わせ、デザインやエンジンなどを開発している。
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は 1975 年に約352 ドル、1985 年に約 748 ドル、1995 年には約3043ドルに急増した
(worldbank)。1985 年までタイの二輪車販売台数は30万台前後で低迷していたが、1995 年には 146万台まで増加した。しかし、1997 年の通貨危機には二輪車販売台数は激減し、約 53 万台であっ た78。
2000 年前後中国のコピー車の参入のため、タイの二輪車市場は変動があったが、日系企業を始 め、外資系企業は、低価格・高品質製品の開発により国内市場をリードした。2018 年タイの一人当 たり GDP は約 7273ドルでとなり(worldbank)、タイの経済成長を背景に所得水準も上がり、移動 手段として自動車のニーズがより高くなった。タイの二輪車販売台数は 2019 年に約 167万台であ り、世界の第6 位である(Motocycledata)。
二輪車と他の移動手段との間の代替関係は、二輪車保有状況に大きな影響を与える(福田、他、
2004)。ASEAN 二輪車産業の中ではタイ市場が一番早く形成され、重要な生産拠点であるが、タイ では経済成長と共に所得水準ばかりでなく、公共交通や自動車も発展しつつある。それらはタイで 二輪車保有率に大きく影響している。タイの経済成長や所得水準の上昇により自動車のニーズが高 まっている。公共交通も発展してきており、二輪車のニーズは減りつつある。しかし、タイの二輪 車産業は近年フランスや日本などへの輸出拠点になる傾向があり、2019 年タイの輸出二輪車台数は 約 41万台に達した(タイ二輪車協会)。
(2)タイにおけるホンダ二輪車事業の進出動向
図表4.5 タイにおけるホンダ二輪車事業発展プロセスの概要
1964年 販社の設立
1965 年 二輪車・汎用エンジンの生産拠点としてタイホンダマニュファクチャリングを設立し、現地生産を 開始した。ホンダの本格的な海外展開の初期の工場で現在アジア大洋州本部二輪車のマザー工場と なっている
1987 年 2 ストローク車でクラッチ付きファミリースポーツタイプ NOVA の投入
1988年 アジアでの販売・生産の中心として、Honda R&A Thailand をバンコックに設立 1997 年 開発機能の強化のため、Honda R&A South East Asia Thailand を設立
4ストロークファッショナフブルなファミリータイプ Wave の投入 1999 年 Honda Engineering Asian の設立
2002 年 中国車に対抗するために、低価格版Wave100 の発表
2004年 現地適合モデルの開発の役割をさらに大きくするために、Honda R&A South East Asia Thailand新 社室とテストコースの完成
78 佐藤百合、大原盛樹(2005)『アジアの二輪車産業―地場企業の勃興と産業発展ダイナミズムー』アジア経済研 究所 p.81
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2010 年 250ccエンジンを搭載した中型モデルの生産
2012 年 グローバルモデルの生産に特化したラインの新設、生産の開始 2014年 CBR650 シリーズなど、大型モデルの生産の開始
出所:出水(2011)、佐藤、他(2006)、ホンダのホームページ等をもとに筆者作成
図表 4.5 を見ると、ホンダはタイで 1964 年販社を設立し、日本からの輸出を開始したことがわ かる。タイの二輪車市場では、日系企業の寡占状況であるが、メーカー別販売シェアは、この 20 年 間に大きく変化している。1980 年代は日系3社が競合していたが、1990 年代前半、ホンダが、一歩 抜けだした。1990 年代後半以降、ホンダは他社を大きく引き離し、現在では 75%前後でトップであ る(後掲図表4.9)。
ホンダは、タイ市場で二輪車事業の販売会社や研究所などを設立している。それ以外にも二輪車 企業として、タイホンダマニュファクチャリング(以下、タイホンダ)も設立した。タイホンダ は、1987 年に 2 ストロークでクラッチ付きのファミリースポーツタイプNOVA を投入し、市場シェ アを上げた。1990 年代半ばまでタイ市場では、ヤマハがトップ企業であり、ホンダは 第4 位で、
市場シェアも約 10%であった。当時はまだ日本企業のグローバル戦略も欧米市場が中心であり、ア ジアに対して資源配分は希薄であった79。
1988 年に Honda R&A Thailandがバンコックに設立された。1997 年に Honda R&A South East Asia Thailandは、日本のホンダが出資する現地法人となり、アジア大洋州地域のユーザーのニー ズを満たす開発拠点となった。2004 年にはアジア地域二輪車の販売の伸長が著しく、現地適合モデ ルの開発の役割がさらに大きくなり、Honda R&A South East Asia Thailandの新社室とテストコ ースが完成された80。
タイでは、アジア通貨危機後、ガソリンの価格が高騰したために、燃費効率が良い二輪車のニー ズは高まった。1997 年にタイホンダは 4 ストロークでファミリータイプバイクWaveを投入し、市 場シェアがさらに増加した(佐藤、他、2006)。タイの二輪車市場はベトナムと違い、中国車にリ ードされたことがないが、2002 年 6 月にタイホンダは中国車に対抗するために、Wave100 を発売 し、シェアをさらに高めた。
2019 年、タイの二輪車市場でのホンダの市場シェアは、77.4%となった。その上、タイホンダの 二輪車事業はタイ国内のみならず、ASEAN諸国、日本、欧州、北米、オーストラリア等へ多くの二 輪車製品を輸出した。つまり、タイホンダは、二輪車市場において、国内市場向け生産ばかりでな く、タイを拠点に ASEAN諸国をはじめ、他の国への輸出を促進し、更なる発展をとげたのである。
(3)タイにおけるホンダ二輪車事業の現地化戦略の特徴
タイでのホンダの二輪車事業は、日本からの輸入車により、国内販売を開始した。タイホンダは 機能、価格、デザインの面を現地消費者のニーズに合わせ、タイに適応したモデルを国内市場に投
79 天野倫文、新宅純二郎(2010)「ホンダ二輪車の ASEAN戦略 ―低価格モデルの投入と製品戦略の革新―」『赤門 マネジメント・レビュー 』Vol.9, 11号 p.9
80 出水力(2011)『二輪車産業グローバル化の軌跡 ホンダのケースを中心にして』日本経済評価社 pp.238-239
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入し、国内No.1 の高いシェアを獲得している。タイホンダの現地化戦略の特徴について4つの活動 の現地化の軸で分析していく。
販売活動では、タイホンダは現地消費者のニーズに応えるため、国内市場の中では最大の販売網 にあたる約 1300 専売店(5S:販売、サービス、部品販売、安全、中古車)を構築している。同社 は、最大規模の 5S 専売店体制を構築したことにより、現地の消費者にとってはアプローチしやす く、購入したい者にとっても、安心で便利な態勢となった。また、アフターサービスが購入者の満 足度を満たし、同社のブランド力の向上にも影響を与えている。
生産活動では、タイホンダは 1965 年から二輪車生産を開始した。タイホンダは参入初期には同社 の輸入車であったが、次の段階では SKD生産、CKD生産に移行し、また、部品内製化を推進してい る。ホンダは現地生産規模が3 万台以上になると、CKD 方式の生産へと移行することが多い(本田 技研工業、1998)。この際に、政府の国産化政策への対応及び、二輪車の差別化の向上のため、エ ンジンの内製化を実施している。タイでは 1980 年に入るとバンコク郊外の低所得地域での需要が拡 大する一方で、政府の現地調達化政策によるエンジン現地調達規制などが打ち出された81。ホンダ は、初期に日本からの輸入エンジンを採用し、その後、日本ホンダのエンジンの設計ベースをもと にエンジン工場(1965)を設立し、タイにおけるエンジン内製化を強化している。
部品調達活動では、ホンダはタイを ASEAN 戦略の要所と位置付け、アジア大洋州諸国の二輪車部 品ニーズに対して、タイを部品調達拠点に設定した。この部品調達拠点は、タイホンダへの部品提 供はもとより、他国への部品輸出も実施している。タイホンダは、部品調達コストの引き下げと設 計の簡素化のため、出来るだけ新大洲ホンダを経由した中国部品を参加させるという方針であった が、タイホンダの受入基準を満たさない中国部品が多かった。しかし、タイの現地サプライヤーに 対する強力なコストダウン圧力としては機能した。さらに設計においても、低価格車の設計の際に はデザインや塗装の有無、性能水準の見直しを行い、細かなコストダウン項目を積み上げている
82。タイホンダは現地サプライヤーを育成し、連携関係を強化しており、現在全体的な現地部品調 達比率は 100%に近い水準である。
開発活動では、タイホンダは製品開発研究所などを設立し、アジア新興国向けのデザイン、車 体、エンジン部品などの開発拠点として活用している。開発の現地化において、現地消費者のニー ズを的確に把握し、迅速な製品開発を行うためには、現地に R&Dセンターを設立し、持続的な技術 優位を確保して行かなければならない83。開発研究所の設立により、研究員は現地消費者ニーズ や、交通事情などを徹底的に調査し、現地に適合した製品を開発することができると考えられる。
この開発研究所の成果は後にベトナムでの開発にも貢献する。特に低価格の中国車への対抗のた め、機能限定、低コストの二輪車の開発にはタイのノウハウが活用された。また他の外資系企業と のコスト競争には、地場系部品企業と現地にある日系部品企業との連携が必要であるが、開発研究 所があると部品の設計にも役立ち、ものづくり能力の向上や現地化率を全体的に向上させるために も有効である。
81 中山健一等(1997)「ホンダの東アジア圏生産ネットワーク:企業グループのタイ・中国市場への戦略対応」経 済と経営 Vol.28, No.2 p.222
82 太田原準(2009)「工程イノベーションによる新興国ローエンド市場への参入」同志社商学 Vol.60, No.5-6 p.285
83 李君在(2017)「中国進出における「サムスン電子」の現地化戦略に関する研究」日本経済論集 p.139