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ホンダ二輪車事業の現地化戦略の比較分析 ―ベトナムとタイ、インドネシア、中国の差異に注

第 4 章 ホンダ二輪車事業のアジア進出と現地化動向の分析 ―先行アジアの経験と資源能力のベトナム

4.4 ホンダ二輪車事業の現地化戦略の比較分析 ―ベトナムとタイ、インドネシア、中国の差異に注

本節は、これまで分析した結果を基に、ASEAN のタイ、インドネシア、ベトナム、及び中国の現 地化戦略の比較を行う。ASEAN 主要国のホンダとホンダ中国の異なる点などを分析し、ホンダベト ナムの現地化戦略の特性を明らかにする。図表4.9 は 4カ国の 4 つの活動の現地化を示している。

図表4.9 タイ、インドネシア、ベトナムと中国のホンダ二輪車事業の現地化戦略の比較

タイ インドネシア 中国 ベトナム

生産開始年 1967 1971 1982 1997

販売台数

(万台)

168 516 150 260

市場シェア 75%前後 75%前後 10%前後 75%前後

工場数 1 5 4 3+2 部品生産工場

生産能力

(万台)

170 505 210 250

主な輸出車 スポーツバイク 250CC:日本、

ASEAN 、インドなど

スクーター、スポー ツバイク:ブラジ ル、日本など

スーパーカブ、110 cc、小型:日本、ア フリカ、欧州など160 国以上

スクーターPCX、スク ーターSH:日本、欧 州、オーストリアな

販売網

1300

全ては 5S専売店

(Sale完成車販売、

Serviceサービス、

Spare parts部品販 売、safety安全、

Second hand 中古)

5544

全ては 3S専売店

(Sale完成車販 売、部品販売、二輪 車のオイルなど)

11000

全て専売店ではない

801

4S専売店(3S:

sales販売、

serviceサービス、

spare parts部品販 売; 1S: safety 全)

生産(内製 部品)

・生産方式:輸入車

→SKD→CKD→内製化

・生産方式:輸入車

→SKD→CKD→内製化

・生産方式:輸入車

→SKD→CKD→内製化

・生産方式:輸入車

→SKD→CKD→内製化

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・エンジンの輸入→

日本設計ベース→エ ンジン工場(1965)

の設立

・日本からのエンジ ン輸入→エンジン生

・日本からのエンジ ン輸入→エンジン生

・日本からのエンジ ン輸入→エンジン生

部品調達 (部品調達 現地化比 率)

100%近く 100%近く 100%近く 新大州の活用

100%近く

開発(研究 所)

2研究所

・ASEAN の二輪車の研 究開発

・生産システム・工 作機械開発の研究所 デザイン、車体開 発、エンジン開発

デザイン、エンジン の開発に着目

2研究所

・二輪車の研究開発

・生産システム・工 作機械の開発)

デザイン、エンジン の開発に着目

出所:各企業のホームページ、Motocycledata、ASEAN 二輪車協会より筆者作成 注:シェア及び店舗数は 2020 年のデータである。

4.4.1 ASEAN 主要国タイ、インドネシアのホンダ二輪車事業の現地化戦略の特徴

ホンダは二輪車では世界一の企業であり、需要のある所へ進出し、生産することを基本として、

積極的にグローバル化を進めてきた。アジア進出においては、ASEAN が先行しており、1967 年のタ イ、1971 年のインドネシアが古く、遅れて 1997 年にベトナムに進出している。その当時ASEAN に は二輪車の工業基盤は形成されておらず、日系企業の進出と共にサプライヤーも進出し、現地の二 輪車工業基盤が整っていった。

ホンダ二輪車の現地化戦略においては、種々の特徴が見られる。

第1 は、段階的な現地化の推進である。進出当時、ASEAN各国は二輪車の販売規模も小さく、ま た工業基盤がなく、政府の工業化政策をにらみ輸出代替工業化を進めていた。4 つの活動(販売、

生産、部品調達、開発)の現地化では、顧客に近い下流の販売の現地化が先行し、販売拡大のため の専売店網の構築からスタートする。販売における専売店網の構築は、同社のグローバル展開にお ける基本方針でもある。次は生産の現地化であり、ホンダが最も重視した活動である。それらの活 動は、政府の工業化政策や国産化の要請を受けて、SKD生産を行い、段階的に現地CKD組立やコア 部品の現地生産の割合を増やしていった。また環境や交通安全のための流通二輪車制限政策などの 環境変化に適応し、ホンダはサプライヤーの育成や製品開発、CSR 戦略など各国に適合する戦略を 通じて、販売、生産、部品調達、開発のあらゆる活動で現地化を段階的かつ徹底的に行ってきた。

それらの現地化に向けての諸活動は、市場の競争優位を高める条件でもあった。

第2 は、4 つの活動の現地化であるが、各活動は相互に関連をもちながら推進されている。

①は、販売の現地化であるが、現地への進出にあたり先行して展開される。ホンダ二輪車事業は タイ、インドネシアでは、各活動に先行して独自の専売店網が構築されている。ホンダは、初期の 頃はアジアで先行し、強い製品力、ブランド力をもとに高い市場シェアを獲得してきたが、1990 年 代に入ると同社のデザインを模倣した中国コピー車の氾濫により、シェア減少の脅威を受けた。消 費者を安心させるための専売店網構築が重要な課題である。また、専売店網の拡大は、現地消費者

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にアプローチしやすく、現地購入者のニーズを取り込むことを通じ、より良いサービスを提供する ことができる。

②は、生産の現地化であり、進出先国の政府の要請のもとで、SKD生産、CKD生産、コア部品内製 化の順で段階的に現地化を行なっている。ホンダの生産現地化の店舗は、競合他社に比べても早 く、組立工程にとどまらず、コア部品の現地化も進んでいる。例えばタイでは 1965 年にはエンジン 組立工場の建設が行われ、部品調達現地化率の強化にも結び付いている。

③は、部品調達の現地化である。部品調達の現地化は、QCD を左右する要因であり、生産の現地 化と連携して推進される。アジアへの進出では、現地に有力なサプライヤーが少なく、当初は日系 の一次サプライヤーと共に進出する場合が多い(前掲の長屋方式)。ホンダは政府の地場系サプラ イヤーの育成要請に対応するだけでなく、コスト競争力の向上のためにも、積極的に地場系部品企 業との取引や能力構築を推進している。現地にある日系部品企業とも連携して、ものづくり能力の 向上や現地化率を全体的に向上することに成功している。また、部品調達の現地化の強化に応じて 段階的にQCD の能力を向上することに努めている。ホンダの二輪車の部品調達現地化率は全体的に 100%近くとみられる。

④は、ホンダは製品開発の現地化である。ホンダは ASEAN各国の二輪車市場の変動や政府政策、

現地消費者ニーズに応え、二輪車を開発している。例えば、タイホンダは低価格中国車に対抗する ため、高品質で低価格製品Wave100 を投入した。一方、ホンダベトナムは中国車バブル期に対抗す るため、タイホンダのWave100 をベースに現地に適合した製品Waveaを開発した。また、その後、

現地の消費者ライフスタイル、交通事情、所得水準、他社との競争などを考慮し、デザイン開発や エンジン投入により、新規顧客開発を行っている。

4.4.2 ホンダ中国の現地化戦略の評価 ―ASEAN と異なる点に注目して

中国の二輪車市場におけるホンダの二輪車事業は、進出から現地生産に至るプロセスがベトナム とは諸々の点で異なる。

第1 は、販売の現地化である。

①は、販売網である。図表4.9 に見るように、ホンダは ASEAN各国では、専売店体制(5S、4S、

3S など)を組織し、完成車・部品の販売、アフターサービスなど購入者に対する独自のサービスを 提供しているが、中国では店舗数は多いが、併売店の形をとっているため販売数は思わしくない。

②は、中国最大の顧客である中間所得層向け低価格車への対応である。ホンダは中国市場進出に 際し、初期の段階ではハイエンド市場に注目し一定の成功を収めた。1990 年に入ると、中国二輪車 市場は所得の向上に伴い中間所得層が台頭し、低価格車を中心に急拡大するが、地場系企業による 低価格車の投入、生産拡大によるコスト競争力の向上に対抗できず、シェアは減少していった。

③は、中国国内市場のシェアである。ASEAN におけるホンダのシェアは国内市場の第1位となっ ている。タイでは、初期にヤマハとスズキはホンダのシェアを上回っていたが、通貨危機後、ホン ダは 4 ストロークの二輪車の発売により回復した。現在ホンダは、タイとインドネシアで約 75%シ ェアを占め、最大の市場シェアを獲得している。タイとインドネシアのホンダと比較するとホンダ 中国のシェアが 10%弱であり、これは中国系企業が市場を圧倒するという国情にも影響されると考 えられる。

第2 は、生産の現地化であり、現地生産開始の時期である。図表4.9 で示す通り、ホンダはタ イ、インドネシアでは、1970 年代前後に現地生産を開始したが、中国ではより遅く 1982 年以降に

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生産をスタートしている。日系企業が進出当時、中国では ASEAN と違い進出時に製造企業が存在し ている。ホンダ中国は、1980 年代技術供与により、当初は高品質高価格製品で成功したが、1990 年 代には低価格競争に負け、シェアが低迷した。同社は、挽回するために新たに現地の完成車企業、

サプライヤーと合弁し、低コストのものづくりに着手するのである。

第 3は、部品調達の現地化への対応である。ホンダ中国はコスト競争力を向上させるために、コ ア部品の現地化と共に、部品調達の現地化が必要であるが、それには地場系サプライヤーとの取引 の拡大が決め手となる。二輪車の基本設計とアーキテクチャーの関係を見ると、ホンダの場合基本 的にはインテグラル(擦り合わせ)型であり、ASEAN ではその方式がとられ、ホンダとサプライヤ ーが機能と部品を連携して擦り合わせ、QCD を磨き上げていく方式をとっている(前掲第1 章 1.6)。タイホンダやアストラ・ホンダは、日系サプライヤーの協力の下で、段階的に地場系サプ ライヤーに教育、指導を行い、パートナーに育てていくことから、QCD の向上を生み出している。

一方中国では、地場系完成車企業は数が多く、サプライヤーとは擬似オープン・アーキテクチャ

102の取引関係が見られる。つまり地場系完成車企業は、地場系サプライヤーが製造した部品を市場 で調達しモジュラー(組み合わせ)型で組み立てている。地場系サプライヤーのコスト競争力は極め て高く、完成車企業はそれを取り込み、低価格車市場競争を大きくリードしている。ホンダは、コ スト競争力のある地場系サプライヤーと十分連携できなかったことから、中国の成長市場である低 価格車競争で後れを取っている。ホンダの中国のシェアは、約 10%弱にとどまり、ASEAN のように 第1 位のシェアを獲得できていない要因でもある。そのためホンダは中国では、地場の完成車企業 と合弁(民有企業新大州)で、地場系サプライヤーの低コスト化やモジュール型ものづくり技術の有 効活用のノウハウを学習した。

第4 は、開発の現地化である。

中国地場系完成車企業は、日系の摸倣車が中心であるが、商標、デザインも真似たコピー車を多 数投入している。また、エンジンなどのコア部品も社外調達しモジュール型で開発している。中国 地場系完成車企業は 1990 年代後半、ASEAN のホンダに比べ、圧倒的に安い「低価格車」を製造し、

インドネシア、ベトナムなどへ輸出した。そのため、一時ASEAN のホンダのシェアが減少した。ホ ンダ中国は中国地場系完成車企業の低価格車に対抗するために合弁により低コストのものづくり能 力を学習し、生産コストや部品調達コストなどを削減した。それらの経験は ASEAN の低価格高品質 車の開発にも生かされている。

第5 は、中国の模倣車企業への対策である。

中国ではホンダの摸倣二輪車が広く普及している。ホンダのエンジンをはじめ、コア部品は図面 が標準化され、多くの地場系サプライヤーは低コスト生産を目指して激しい競争を展開している。

また完成車企業はホンダのデザインや商標などを模倣したホンダコピー車を市場投入し、それらに 低コスト部品を組み込み、モジュール型生産でロードエンド市場向けの低価格品を生産している。

中国では、地場系完成車企業はホンダの販売台数を圧倒した。また 1990 年代末には ASEAN の周辺国 に輸出攻勢をかけている。ホンダは低価格の中国コピー車に対応するため、中国国内では生産、部 品調達、開発の現地化の諸段階で地場系企業とも連携し、現地サプライヤーを導入し購買コストの 減少に努めた。それらの成果は、タイ、インドネシア、ベトナムの知財戦略に使われ、成果を上げ ている。

102 藤本隆宏(2004)『日本のもの造り哲学』日本経済新聞社 p.213

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