第 2 章 ベトナムの二輪車市場の概況 ―ホンダの現地化の対象市場
2.5 ホンダベトナムの進出と現地化への政府政策の影響
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ベトナム政府は 1991 年に全国党大会 7回で工業化・近代化政策を実施し、国際経済化へ向け国際 的な機関に加盟する政策を打ち出した。ベトナムは 1995 年に ASEAN(東南アジア諸国連合)、1996 年に ASEM(アジア欧州会合)、1998 年に APEC(アジア太平洋経済協力会議)に加盟した。これら の国際経済機関への加盟はベトナム経済の発展に大きく貢献した。ベトナムは、グローバル化に向 けた国際関係の拡大、市場の潜在成長性と輸入保護、税制面の恩典などにより外資の導入に成功し た。ベトナム二輪車産業においても 1990 年代末までには、日系及び台湾系二輪車企業が次々とベト ナム市場に進出した。
ベトナム政府の輸入代替工業化政策は二輪車市場に大きな影響を与えた。ベトナム二輪車市場は 外資系企業の参入及び政策により発展し成長している。ベトナム経済はドイモイ政策により高成長 を開始した。その中心的な産業は、二輪車産業であった。ベトナムの所得水準が上がりつつあるこ とに伴い、国内二輪車需要も高くなった。
しかし、1990 年から 1991 年にかけては、ベトナム二輪車市場は輸入車のみ流通する小さな市場 であった。ベトナム商業省は 1993年に輸入二輪車数を定め、国有貿易企業などに配分する輸入割当 制度を実施した。この時期では、ベトナムの輸入二輪車数は約37万台に達した48。ベトナムの道路 事情、輸送及び、移動手段として二輪車は最適であったので、ベトナム政府としては二輪車産業を 発展させたために、上記の政策を打ち出した。
その後、政府の関税政策及び、国産化政策により、ホンダベトナムを始め、外資系企業は輸出か ら SKD生産へ移行した。1998 年にベトナム政府は完成車輸入禁止政策及び、国産化率に連動した奨 励的輸入関税政策を発表した49。この 2 つの政策によりベトナムで活動する二輪車企業は、生産の 現地化、及び現地部品調達の強化を進めることになった。ベトナム二輪車市場にとって、外資系企 業を中心に輸入代替国産化が進行する。一方で多くの地場系企業が誕生し、それと共に、地場系二 輪車及び、中国輸入低価格車が氾濫し、中国車バブル期が現出したのである。外資系二輪車企業は この中国車バブル期に対抗する低価格二輪車の開発が課題となった。ホンダベトナムはこれらの課 題に答え、現地向け低価格・高品質製品Waveaを開発し投入した。
1999 年までベトナム二輪車市場における日系ホンダ、ヤマハ、スズキの二輪車価格は約 10万円
〜15万円であり、当時現地消費者の所得水準が約 1.76万円(ベトナム統計局)に比べると 10倍近 い価格であり、容易に購買できる価格水準ではなかった。その当時の中国車は低品質であるが、10 万円を下回る低価格により消費者に好まれた。その結果、2000 年に入ると、ベトナム二輪車市場規 模は急激に拡大した。2000 年にベトナム市場の二輪車販売台数は 100万台超であり、前年度と比べ 2.4倍となり、2001〜2002 年の年間販売台数は 200万台直前に達した(前掲図表2.2 を参照)。こ の時期ではホンダベトナムの市場シェアは一時的に急激に低下したのである。
しかし、ホンダベトナムは 2002 年からWaveaの開発の成功により、市場シェアを回復していっ た。Waveaの成功要因は地場系企業に対抗できる低価格製品であるが、それだけでなくベトナム人 が好む高品質製品であった。またベトナム政府の模倣車に対する政策もホンダのシェアが持続的に 拡大する一つの要因となった。この点は3章で詳しく考察する。
また、中国車バブル期にはベトナムで交通事故数が急激に増加したため、ベトナム国家機関は 2002 年 8 月に、型式認証制度に相当する「二輪車の品質、技術安全、環境保護についての検査」制 度を施行した。国内で販売された全ての二輪車は交通運輸省傘下の登録局で型式検査を受け、品質
48 佐藤百合、大原盛樹(2005)『アジアの二輪車産業―地場企業の勃興と産業発展ダイナミズム』アジア経済研究 所 p.114
49 https://www.jbic.go.jp/ja/information/investment/images/inv_vietnam22.pdf 2019 年 9 月 15 日アクセス
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証明書の発行を受けなければならなかった50。この制度により低品質の輸入部品販売企業及び地場 系部品サプライヤーの数は減少し、地場系企業はモジュール型で低価格車を組み立てることが難し くなった。
2003年 1 月には、国産化率に連動する奨励的輸入関税政策は撤廃された。部品には関税率が指定 される方式(エンジン 100%、その他の部品 50%)に置き換えられた51。これによりベトナム二輪車 市場における輸入部品量は減少することになり、外資系企業と地場系企業はエンジンの国内生産化 及び現地部品調達率を向上しなければならなくなった。各二輪車企業にとって競争力を上げるため には、国産化率を強化することが課題となったのである。
ベトナム政府は、2006 年から 2015 年にかけ二輪車産業発展の方針を打ち出し、国内の部品サプ ライヤーを中心に進化、発展させ、外資系サプライヤー及び地場系サプライヤーの連携を奨励する こととした(ベトナム商工省)。そのことによりベトナム政府は地場系サプライヤーのものづくり 能力の向上を支援する政策を打ち出した。
ベトナム政府の政策は国内二輪車産業の成長に大きく貢献した。国産化政策、奨励的輸入関税政 策、模倣車への対策などによってベトナム二輪車の輸入代替工業化は促進された。ホンダベトナム は販売能力、生産能力、部品調達能力、開発能力の構築を促進し、現地ニーズに合った低価格・高 品質製品を提供することができた。また政府の税制度、品質検討制度や外資系企業と地場系サプラ イヤーの連携の支援の政策などにより、ベトナム二輪車産業は飛躍的に成長したと言える。
50 藤田麻衣(2006)「ベトナムの二輪車産業 ―新興市場における地場企業の参入と発展―」佐藤百合、大原盛樹 編(2006)『アジアの二輪車産業 : 地場企業の勃興と産業発展ダイナミズム 』アジア経済研究所 p.338
51 2003 年 1 月 19 日付財務省公文書315/TC/TCT
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第 3章 ベトナムにおけるホンダ二輪車事業の現地化の動向 ―現地向け低価格・高品質製品Wave αの開発を踏まえて
3.1 ホンダベトナムの発展諸段階と現地化のプロセス
ホンダは世界の多くの国・地域に参入している。ホンダベトナムの親会社であるホンダは、ベト ナム市場参入以前にアメリカ市場やヨーロッパ市場で多くの成功例を持つ。ベトナム政府の政策や 現地の需要などを考慮し、1996 年ホンダはベトナム市場に進出した。ベトナム二輪車産業の発展段 階と対応し、ホンダベトナムは成長しており、国内二輪車市場でトップのシェアを有している。現 在ホンダベトナムは国内市場で約 79.7%のシェア(2020 年)を占めており、シェア第2 位ヤマハベ トナムに比べ、約 5倍である。本節は、ホンダベトナムの発展諸段階と現地化のプロセスなどを考 察する。
3.1.1 ホンダベトナムの発展諸段階
図表3.1 ホンダベトナムの発展動向
1996年 ホンダベトナムの合弁会社設立 1997年 生産開始(生産能力30万台)
2001年 現地向け低価格・高品質製品Waveαの開発 2002年 バイクWaveαの投入
2008年 第2工場の建設、累計生産500万台の達成 2011年 累計生産1000万台の達成
2014年 第3工場の建設、3工場生産能力は250万台、累計生産1500万台の達成 2016年 累計生産2000万台の達成
2017年 バイクWaveα110、スクーターJazzなどの投入 2018年 バイクSuper Cub C125などの投入
2019年 Honda Racing Vietnamオートレッスチームの設立 2020年 生産台数累計30万台
出所:ホンダベトナムのホームページより筆者作成
1986 年のドイモイ政策と共に、ホンダ二輪車事業はベトナム人の二輪車ニーズに対応し、1996 年合弁会社を設立しベトナム市場に進出し、ホンダベトナムで現地生産を開始した。図表 3.1 はベ トナムにおけるホンダ二輪車事業の発展動向を示している。ホンダベトナムの発展プロセスは時系 列的に見れば、下記の 4段階にまとめることができる。
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第1段階(1996〜1998 年)は、工場設立期である。ホンダは、ベトナム消費者の二輪車ニーズ、
ベトナム政府の国際貿易機関加盟や工業化政策などを考慮し、1996 年ベトナム二輪車市場に進出し た。ホンダベトナムは初期に現地で人気のあったタイホンダのバイクSuper Dreamを輸入し、投入 した。その後、同社はタイホンダの Super Dreamを基に、現地に SKD 方式で Super Dreamを組み立 てた。ホンダベトナムの Super Dreamは、不要な部品類をカットしたため、タイホンダの Super Dreamに比べ、安かった。また、ベトナム消費者は日系企業の製品を始め、先進国製品の品質に対 する信頼度が高いため、ホンダベトナムの Super Dreamは高くても、ある程度に売れた。1998 年に ベトナム二輪車市場は小さく、販売台数が37.9万台であった(図表3.2)。
図表3.2 ホンダベトナム二輪車販売台数の推移(千台)
出所:三嶋(2007)、ベトナム二輪車協会、ベトナム統計局より筆者作成
注:2006 年以降の中国車の販売台数はベトナム市場の全体的なデータ及びベトナム二輪車協会のデータを基に筆者 計算。
第2 段階(1999〜2002 年)は、地場系企業の低価格車への対抗期である。ベトナムの二輪車市場 は、1998 年に入ると、中国からの低価格輸入車が急激に増加した。この時期には、一部の地場系企 業は、中国部品キットを基に KD 方式で二輪車を組み立てた。低価格輸入車や地場系企業の二輪車は、
外資系に比べ、安かった(約 4 分の 1)。ホンダベトナムの二輪車の価格は約 2000 ドル、中国車の 価格は約 500 ドルであった。地場系企業は当時外資系企業に比べ、コスト競争力が高いため、ホン ダベトナムの国内市場のシェアは 1999 年に 18%から 2000 年には 9.6%に減少した。この時期には、
ベトナム政府は二輪車の国産化政策を重視し、高品質二輪車の普及を目指す政策(部品輸入禁止、
国内二輪車数制限等)を導入した。また低価格中国車の脅威に対応するため、ホンダベトナムは 2002 年 1 月にWaveαを開発、投入し、価格が 732 ドルの対抗車を導入した(後掲の3.3で詳しく分 析)。Waveα はベトナムの消費者ニーズを考慮した低価格・高品質製品としての優位性を持つため、
大量に売れた。これにより、ホンダベトナムは、2002 年が 19.2%に回復した(図表 3.2 を基に計 算)。
82 92 160 170 390 430 510 620 770
1120 1320 1400
1700 1550
379 459
1670
1960 2030
1270 1441 1651 2371
2703 2710 2745 3070
3562
1 67
1177
1512 1297
433 346 514 670 860 767
439 560 542
0 500 1000 1500 2000 2500 3000 3500 4000
1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 ホンダベトナム ベトナム 市場 低価格中国⾞